21世紀型スキルへの一意見

最近、Web上の記事なんかでもよく見かける21世紀型スキルについて、少し思うところがあるので、頭の整理もかねて書いてみます。
(多少、21世紀型スキルへの反論になっていますが、僕の主観的見解なのであしからず)

21世紀型スキル
http://en.wikipedia.org/wiki/21st_Century_Skills

東大、日本マイクロソフトレノボとの協同研究
東大、MS、レノボが「21世紀型スキル」の育成を目指した実証研究 | 日経 xTECH(クロステック)

端的に言って、私は21世紀型スキルの運動は意図は素晴らしいが、うまくいかないのではないか、と考えています。理由は以下です。

理由1 教育におけるIT利用の過度の強調

 21世紀型スキルでは、教育におけるITの利用がかなり強調されているように感じます。
下記はwikipediaの抜粋 
 「With today’s and tomorrow’s digital tools, our net generation students will have unprecedented power to amplify their ability to think, learn, communicate, collaborate, and create” (Trilling & Fadel, 2009, p. 64). Teachers need to also, incorporate technology into the classroom. Technology is used to supplement traditional resources in the classroom and engages the students. By including technology into the daily classroom activities it “not only motivates learning, it builds self-esteem, can provide immediate feedback, can provide learning beyond drill and practice and it can address various learning styles as well as help build learner strategies”」

個人的な見解では、ITを使った授業でスキルが向上する、という見込みはほとんどありません。少なくとも自分の経験上、研修でITツールを使うのと、アナログツールを使うのとで、それほど大きな効果の違いを感じたことはありません。同じ空間を共有するクラスルームの中であれば、ポストイットのようなアナログツールの方が自由度が高い分使いやすいと思います。。工夫次第で効果的に使うことが出来ないこともないと思いますが、ROIがどこまで得られるのかは疑問です。

ITツールの強調は、しかしながら、ツールを売り込むベンダーと、導入する学校側には利益があります。ベンダーの利益はいうまでもないでしょう。さらに、大規模な設備投資は景気活性化につながり、教育に関心のあまりない政策決定者にとっても都合がいい国民への目くらましになります。さらに導入する学校側にとっても、現場の先生は大変かと思いますが、それ以外の偉い人、校長先生や教頭先生、教育委員会の方々にとってみれば、ITツールの導入という目に見える成果は自分が仕事をしている、という言い訳になります。つまり、純粋で、清廉潔白でない人々(つまり、自分も含めた多くの一般人)にとっては、教育効果がでなくとも、21世紀スキルとITツール導入に賛成する誘因が存在してしまうのです。

結局のところ、一部の大人の利益と自己満足のために、浪費と教育現場の混乱だけが残る、という結果になりかねないと思います。 

ちなみに、ITの教育での活用は、優れた教材の共有や先生の事務作業の削減、勉強に遅れた子への補講とか、意欲ある子へのより高度な学習内容の提供、塾に行けない子への援助とか、スクールカウンセリングへの活用とか、そういう現実的な課題への活用を考えるべきだと個人的には思います。

理由2 子供への過度の期待

 21世紀型スキルは、システム思考は言うに及ばず、コミュニケーションについても非常に高度な能力を身につけることを目指しているように思います。
 システム思考は「子供のほうが身につけやすい」っと言われることもあり、事実その通りだと思います。ただ、個人的な見解ですが、大人がなぜ、柔軟な頭と相互作用に対する感度を鈍らせたかというと、それが、ある面で必要で合理的な適応だったからだと思います。一度、固くなった頭を柔らかくする、というのがシステム思考であり、その本来の威力もそういう大人でこそ発揮できるのだと思います。
 『一般システム思考入門』を著したワインバーグも、留保付きではありますが、彼の講義の受講には、専門分野を一応修めた大学4年生以上が、最も効果的であるようだ、と言っています。また、内省的なスキルは成人後発達するそうです。(Deseco による報告書に記述)
 鈴木大拙も禅の境地を赤子に例えますが、合わせて、
「それはただの赤子ではない。大人の赤子である。分別を備えた無分別である。」
と言っています。

新編 東洋的な見方 (岩波文庫)

新編 東洋的な見方 (岩波文庫)

 我々は子供には無限の可能性がある、と信じたがる傾向があるようですが、自分も子供だったということを忘れてはいけないと思います。期待をしなさすぎることもよくないかと思いますが、21世紀型スキルは非人間的な超能力を子供に期待しているように思えてなりません。
  
 ちなみに、Desecoのキー・コンピテンシーでは、成人以降の生涯学習の観点がかなり色濃くでています。僕が評価するのは、この観点です。21世紀に必要なスキルは子供のうちに身につけられるというよりも、我々が生涯に渡って開発していかなければならないスキルなのだと自分は思うのです。
キー・コンピテンシー

キー・コンピテンシー

 


理由3 新人教育で会社は変わらない

 もちろん、穿った見方であることは承知ですが、21世紀型スキルを、子供に教えようという行為の背後に、自分たちは変わらず、子供を変えようとする、という非システム的な思考があるように感じます。
 結局現在の社会システムを変えないで教育を変えようとしても、システムの恒常性によって変化がかき消されるのではないでしょうか。具体的には、21世紀型スキルに対して理解のないベンダーによる導入、理解のない先生(その背後には、官僚システムがある)による教育、では21世紀型スキルは結局身につけさせることはできないでしょう。もし、身につけさせることが出来たとしても、学校を出た社会で全く違うルールや考え方が支配的だったとしたら、それに浸食されるのは目に見えています。「小さなシステムは長期間接触したより大きなシステムに取り込まれる」というのが原則です。
 これは、時々人事の方から話にあがる、「既存社員はもう、どうしようもないから、若手、新人を育成する。」っていうアプローチを想起します。もちろん、文脈によりますが、原則として、上記のアプローチは失敗することが多いかと思います。

カウンタープラン

上記が反対の理由です。そして、自分なりのカウンタープランですが、
1 21世紀型スキルは、生涯学習の中で、大学生3年生以上の大人が優先的に習得すべきである。その上で学校教育へも必要に応じて、波及させていけばよい。
2 教育現場へのITの導入は新しい教授法の導入を目指すのではなく、現実に存在する課題の解決を意図して行うべきである。

ってことです。

・・・最後まで読んだ方、いらっしゃったら、ありがとうございます。

システム思考ってなんなの?その起源と歴史

かなり以前から興味があるシステム思考について

自分なりの理解をまとめてみます。
まずは、そもそもの起源と歴史。

人材開発関係者の間で、システム思考というと、
下記のピーター・センゲ先生の『学習する組織』(原題 fifth dicipline 1990年)

学習する組織――システム思考で未来を創造する

学習する組織――システム思考で未来を創造する

でdisciplineの一つとして挙げられていて、組織開発、思考法の一つとして広まったと思います。

源流をたどれば、下記の「一般システム理論」に行き着きます。

元々の提唱者はルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ

一般システム理論――その基礎・発展・応用

一般システム理論――その基礎・発展・応用

生物学者であった彼は、分解して分析したり、直線的な因果関係を重視する当時の諸科学に対して批判的であり、様々な複雑な対象(システム)を分析する枠組みとして一般システム理論を提唱しました。

同時期に、数学者であり、情報通信学者であったウィーナーが「サイバネティクス」を提唱しました。あの「フィードバックループ」の元ネタです。最近岩波から本が出ました。

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

サイバネティクスは理系の方にはおなじみ(?)の制御工学なんかの元ネタです。
一般システム理論は、サイバネティクスも統合しながら、発展していったそうです。

もともと、一般システム理論は、単一の科学分野というよりも諸科学への応用を意識していたそうなので、理系、社会科学問わず、様々な分野に広がっていきました。
社会システム理論とか、カウンセリングのシステム学派とか、、、

一般システム理論が、どうして「システム思考(シンキング)」になったのかは僕は分かりません。
ただ、僕が尊敬してやまないジェラルド・ワインバーグ]による下記の書籍(1975年出版)では「一般システム思考(an Introduction to General System Thinking)」という表現をしています。

一般システム思考入門

一般システム思考入門

この本の目的は複雑な数学を適用し、一般人の手に届かないものになってしまった一般システム運動を普通の人の役に立つように説明する、ってことをだと説明されています。本当に徹頭徹尾、思考法の本です。

センゲの著書が1990年だということを考えると、すでに高度な科学ではない思考法としてのシステム思考は、90年代には結構一般的だったのかもしれません。

また、その後、生物学者のフランシスコ・バレーラオートポイエーシス理論(理論そのものは70年代)なども取り入れられてシステム理論(システム思考)は発展してきました。

ワールド・カフェのアニータ・ブラウンも著書の中で、バレーラに言及していました。
オートポイエーシスも、ちょっと古い理論として、ホメオスタシスも、生物の生態から抽出され、システム一般に適用できるとされた理論です。

システム思考はかなりの部分、生物学とコンピュータ科学(ウィーナー)の知見が中心になって組み立てられているって印象です。

まあ、長い歴史があり、さらにいろんな分野で利用されているので、正直、何がシステム思考なのか理解するのは大変です。チェンジエージェントの小田さんにちょこっと聞いたところ、システム思考の学派は本当に乱立状態だそうです。

とは言え一部で話題の21世紀型スキルの中でも重要な要素となってしまっています。
http://wvdeskills21.wetpaint.com/page/Thinking%2C+Reasoning+and+Innovation+Skills

この業界にいる以上、自分なりの考え方を持っておくということは大切かと思います。
自分の考えはまた別の機会に。

専門知識の必要性

今朝ツイートしていた内容ですが、ブログにまとめてみます。

メディア業界についての対談。
佐々木俊尚×牧野洋「『当事者の時代』とジャーナリズム」対談 第2回「メディア経営が厳しい時代だからこそ、新聞記者を専門家として育てる仕組みが必要」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32451

ツイートもしたけど上記のような専門職、専門家の軽視は日本の産業界全体の問題だと思っています。
どうにも、
「勉強すること」=「役に立たない」
って図式が根強いように思います。

人件費で新興国と勝負に成らない中、対人関係能力だけでなく、
マネージャも含めて、今後は「生きた専門知識や手法」=知識(ナレッジ)が大切になっていくと自分は思います。そして、そういう知識を活用する業務形態が競争力の厳選になってくるように思います。

ただ、だから専門家重視しましょう、っていってビジネススクールに通わせたり、コンサル出身者や博士号や修士号持っている人を雇い入れても、すぐに成果はあがらないと思います。
(多分、大手はもうそうやって失敗しているかと、、、。)

「勉強だけしてて、役に立たない」って人は実際にいるし、役に立たないっていう個人の責任だけでなく、専門知識が競争力に転化するには、その会社ではどのような仕事の在り方が適切か、っていうコンテキスト依存の部分を理解しなければ、適切な人の配置も採用も出来ないと思います。それ分かってなければ、コンサルタントや研修会社、ビジネススクールに食い物にされて終わりです。

結局、環境が根本的に変化しているということなので、全ての仕事の在り方も根本的に見直さなければならない、ってことなんだと思います。既存の枠組みを当てはめて判断するのではなく、現実/現場をよく観察し、深く学ぶプロセスが不可欠なんだと思います。

個人的に参考になるなって思ったのが、
サイバーエージェントで人事部長をされている曽山さんの事例です。
元々、営業・企画っていう広告代理店では花形でエースだった彼を、管理的業務である人事部長に異動させました。
講演を聞いたことがあるのですが、上手く回っている印象でした。

サイバーエージェント流成長するしかけ

サイバーエージェント流成長するしかけ

ツイッターでも、「エース」を従来日陰業務だった所へ投入しろ、みたいなことつぶやきましたが、
基本的に、エースの何割かは、かなり広い範囲の業務で成果を出せるメタなスキルを獲得していると思います。
そういう人が新しい状況にぶつかっていって、そこから学んでいけば新しい業務が何かを理解し、
組織の構造変容へとつながっていくのではないか、と思っています。

...と、連続ツイートもいい加減うざいと思って、ブログに書いてみました。
これ、練習が必要ですね。。。支離滅裂。。。まあ、いいか。